8月1日から8月3日まで、インテックス大阪でエホバの証人の何かがあるそうです。
大変ですね。
ところで、わたしが「これは真実だろう」と信じている言葉の中にこういう者があります。
「狂人は理不尽なのではなく、寧ろ過剰に合理的であろうとする」
その場その場の気分より自分で決めたルールを優先しないと収まりがつかない、ちゅーことですね。
気分のままに行動することができない、という枷が果たしてどのような結果を生むのか。
「腹が減っていても死ぬまで食べない」
「悲しいし面倒だけど人を殺さなければならない」
「どんなに体調が悪くとも医師に頼ってはならない」
「痛くても自傷し続けなければならない」
劃して、余人には理解できない奇行が「当人だけのルールで正しく」遂行される訳です。
過剰に合理的である、そうでなければいられない、という狂人の定義というか性質は、「他者の理解を拒絶する」点や「理屈の部分に適当に何らかのルールを設定するだけで如何にも狂人らしい行動がエミュレートが出来る」という点において、正しい理解なのではないかと思います。
気分でふらふら揺れ動き、その場その場で無意識にペルソナを切り替え、昨日言ったこととの不整合さえ覚えていない。
ほとんどの場合において、人類とはそうしたものです。
「わたしはこうだ。こうであらねばならぬ。」と思えばそれが最後。
ストレスはやがて心のありようを歪め、適応し、最適化します。社会に不整合な思想を守り続ければ、たとえ最初は苦痛でもいつかは慣れ、矯正され、疑いを持たなくなる。
慣れやすく、矯正されやすく、疑いを持ちにくいものはカタにハメるのも楽。すなわち。狂人になりやすい。
さあ、あなたはどうです。
守るべき信条がありますか?
憎むべき仇敵がありますか?
それは日常生活の合間でもいい聞かせ続けていますか?
守らねばならぬ、憎まねばならぬと折に触れて言い聞かせていますか?
市民、あなたはきっと幸福だが、あなたに巻き込まれた他の善良で幸福でない市民は。
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