人間主義の究極。
午睡にとてもよい夢を見ました。
心の中にはもう「いい夢だった」という感触しか残ってはいませんが。
夢の中における認識は、外部の情報がほとんど入らない「ありのままの脳の認識」と言えます。
起きて目を開いて見ているもの、耳で聴いていること。
それがどれほど認識を修正し続けているのか。夢の中の突拍子の無さが思い知らせてくれます。
友人が突然姿を変えても違和感なく。
学生をやめたのに学校に登校していて。
「当たるだろうな」と思った攻撃を受け、「外れるだろうな」と思った攻撃を避けられる。
夢の中が人間の認識の世界なら、夢は人の最も正直な真実なのでしょう。
事実とはかけ離れていても、わたしの中ではこうなのだ。現実の情報を収集することで普段は修正され続けているけれど、夢見ているその時の摩訶不思議で理屈の通らない有様こそ、自分の世界認識のベースとなる無意識そのもの。
人の夢こそ真とは、よく言ったものです。
しかし自分の中でベーコンと腸詰がほぼ同じものだと認識されていることを知った時はびっくりしましたよね。
アルトバイエルンをぱきっと食べるとベーコン味なの。
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