――――労働と報酬が結びつかねえのよ。
――――俺にとっちゃ、仕事は暇つぶしさ。
――――拘束時間に対して、月末にお金をもらうという約束をしているだけ。
――――「この仕事をしたおかげでおいくら分」なんて感覚、俺にはねえのよ。
――――その時々の達成感、ストレス、それなりに規則正しい生活。それだけさ。
――――労働の対価、じゃない。時間と約束なんだ。
――――頭では分かっているが、感覚はそう理解している。だからそれが真実さ。
感覚と理念はいつだってほとんど剥離しているものです。
銃をぶっぱなすときに一発いくらとか考えますか?
ヘッドショットを狙う時に、この首一つでおいくら万円とか考えますか?
そうではない。そうではないのです。
未来に対して約束があり、それを履行している。
自分が約束を信じており、果たさなければならぬと感じており、どうしようもなくせきたてられて実行する。
そのあとにはきっと報酬があると「信じて」。
犬を躾ける際、叱るのは悪さをしたすぐ後でなければならないと聞いたことがあります。でなければ何を叱られたのかわからないと。
しかし、人間の労働と報酬は「何に対する報酬なのか」完全に忘れたタイミングでしかもらえません。
ならば仕事とは何なのか。
理性で判断するかぎりでは、「報酬と引き換え」です。
しかし、感性はそうは言わない。「自分に課した義務」として仕事を行います。
それは暇つぶしであり、自己満足であり、自傷行為です。
脳内ではどうしても、感覚として、「今こうしてやっている仕事=お金」にならないのです。
「今こうしてやっている仕事=今こうしてやっている仕事」でしかない。対価とは結びつかない。
ならば仕事の価値とは?
自分で自分に課した義務。苦痛。苦行。そして達成感。他人に頼ってもらったという負い目と喜びへの恩返し。
心理的な面がとても大きいのです。
「勉強しないと将来困るぞ」
「将来っていつ?」
娘の言葉にはっとさせられたので書いたのが以上の内容でございます。
娘にはロメロスペシャルを食らわせました。
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