脱法ワーク。
暴力装置である以上欺瞞は避けられないものです。
リベリスタはこの世界を守るために活動していますが、その具体的な内容はほとんどが武力による制圧です。対象を殺害することも珍しくありません。
リベリスタが制圧するのは、世に悪い影響を与えるフィクサード、ノーフェイス、アザーバイドです。生かしておけない、活動を許しておくわけにいかない、人類に被害を与えうる有害な個体の排除が主な活動となります。
翻ってフィクサードは、異能者としての力を私欲のために用いる者と定義されます。金銭を得るため、名声を得るため、あるいはもっと違う目的のため、一般人とは違う人知を超越した力をふるいます。
さて、リベリスタもフィクサードもどちらも人間から革醒した存在であり、見た目には区別がつきません。
だとすれば、リベリスタがフィクサードを悪と断じ制圧、殺害することに本当に正当性はあるのでしょうか?
フィクサードはただ単純にヒトに害を与えているだけではなく、所謂ヤクザ稼業のごとく経済を回している個体も多数おり、ある意味でリベリスタより社会に利益をもたらしている側面すらあります。
また、理性を失ったノーフェイスや会話の通じないアザーバイドに対してはリベリスタと立場の違いを越えて共闘することもあります。
そうなれば最早フィクサードをフィクサードと分類することにすら明確な根拠がないのではないか?そのような考えが浮かびます。
それでもリベリスタにはフィクサードを明確に定義し迫害する理由があります。
それはリベリスタが治安の維持を目的としているということ。
カツアゲや強盗や泥棒や傷害や殺人を見逃すと、その分だけ「それが浸透した世の中」に近づいてしまいます。
この日本でもいくつか治安の悪い場所、犯罪が横行する場所は存在しています。
治安維持、向上を目的とするリベリスタにとって「犯罪を行ってもいい雰囲気」「犯罪を犯さなければ生きていけない場所」の増殖は食い止めねばなりません。
「犯罪を横行させないこと」「犯罪に対してリスクを払わせること」は治安維持の手段としてとても有効であり、人類社会でも警察の活動という形で採用されています。
フィクサードが己の欲望の為に他人の人権を踏みにじり、その土地の不安を煽るのであれば、それはリベリスタの敵です。
リベリスタの敵とは、フィクサード個人やフィクサード組織のことではありません。「異能を用いて犯罪をしてもいい」という「雰囲気」です。人間社会を不安にさせ、安全レベルを下げてしまう事態のことです。
個別の犯罪を抑止するのは「人間社会を守るための手段」であって、「人間個々人への被害を抑えることそれ自体は全く目的ではない」のです。
極端な話、人間が何人フィクサードにぶち殺されようがそれで人間社会がビクとも揺らがないなら、ほっといていいんです。
そんなことはあり得ないから、人を害するフィクサードは制圧しなければならない。
「人間社会全体の安定を維持する」リベリスタと、「他人なぞどうなってもいいから自分の利益を追求する」フィクサードには、このような譲り合えない一線があるということです。
さて。
先ほどわたしは「人間が何人フィクサードにぶち殺されようがそれで人間社会がビクとも揺らがないなら、ほっといていい」と申し上げました。
随分と冷たい物言いに聞こえたことと思います。
それは恐らく、わたしがインフラや人間社会や文化文明を愛してはいても人間個々人を愛してはいないからです。
わたしは他人の生き死にや幸不幸を気にすることが出来るほど心に余裕はありません。
報告書:http://bne.chocolop.net/quest/replay/id/5581/
のラスト付近ではわたしがまるで正義に燃えているかのような描写がありますが、これは多分記録係がある程度話を盛ったのだと思います。その方がかっこいいしね。
「個々人はどうでもいい」
「人間社会は大事」
この二つを合わせると、わたしの非合法な『生業』と、アークでの活動での矛盾点が消えるのではないでしょうか。
今日はギャグはとくにありません。ちんこまんこうんこー!
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