人ではないのに人並みの幸せ。
年賀状が届きませんでした。
と言うと、寂しさを感じさせてしまいますが、わたしの住まいは秘匿されているので仕方のないことなのです。
秘匿されてる割にはサンダーの実父実母が訪ねてきたりしましたが。
あれだ、積極的に知り合いに教えたりはしていない、ということです。全然秘匿じゃないですね。
仕事の都合上友人や知り合いが多いと不都合が生じやすいので、付き合いや挨拶などは意図的にしないようにしています。半分は人づきあい自体がめんどくさいからです。
年賀状は貰うのも送るのもめんどくせーと思うわたしにとって、年賀状送り送られの世間話を聴くことは少し取り残された寂しさを伴うものでもあります。
自分で望んで年賀状付き合いを絶ったというのに勝手なものです。
でもまあそんなもんなんだろうと思います。
心から納得して選択したことでも、「もしそうでなかったら」と考えずにはいられない物なのです。
それはそうでしょう。未練がなければそもそも「選ぶ」という意思すら必要ない。
未練のない選択とは、クソを踏まぬよう歩くような行動のようなものです。
「選ぶ」ではなく「通る」とか「避ける」とか呼ぶべきものです。
人生の中で「選ぶ」ことがあればあるほど、それだけ未練が心に残ります。
だから、「自分で選んだくせに」というのはきっとナンセンスな話なのだ。
「選んだ」からこそ未練がある。
「選ばなければならないぐらい迷った」から未練がある。
「自分の意思」なんていうあやふやで頼りにならない物で選んだからこそ、振り返りたくもなる。
それは当り前のことなのです。
遠出してエロDVD探しに出た挙句目当てがなかったので別口の心当たりにいっときゃよかったなと思っているわたしです。
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