薄皮を張り重ねるか今の快楽を追求するか、いや違う。薄皮を張り重ねるのも快楽なのだ。
冬です。
秋ではなく冬です。朝錬そのものが辛い季節になってまいりました。
まあギガントフレームの温度調整機能があれば全然問題ないんですけどね。
そもそもギガントフレームの機械的人体構成に鍛錬がどれほど効果をもつかわからないんですけどね。
それでも、まだ肉で出来ているであろう脳みそに刻み込むために今日も山で型稽古をしました。寒い。そろそろ空気が痛い。
それでも筋肉とマシンに力を込めれば熱は生まれます。
寒い寒いと言いつつも最終的には十分に発汗して本日の鍛錬を終えました。
わたしはガンナーではありますが、拳法の訓練はこのように欠かさずに行っています。
それは、銃を使う訓練が場所と機会を選ぶというのもありますが、わたしのエリューション力(ぢから)の原点が自分の肉体の鍛錬であるからです。
エリューションの一番の特徴は、人間に比較して「力が強い」ということです。
そしてわたしは師匠から、その制御と成長こそが第一であると教わりました。
エリューションとしての肉体のポテンシャルを最大に使い切り成長させること、それが強くなる最短の道だと教わったので。
体の半分がマシンになってしまった今はもう半信半疑ではあるのですが、それでも、鍛錬を怠った時の鈍り方は知っているのでそうならないようにこうして修業を習慣化しています。
強くなるためではなく、弱くならないために。
積んで来たものを無駄にしてしまう喪失感を味わわないために。
そんな意義で行う修業にどれほどの意味があるのかと思わなくもありません。
振り返ればわたしが踏み固めて木も草も生えなくなった地が続いています。
ほんの少しのやりがいのようなものを幻視するのです。
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