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善意と悪意の恣意的運用
種別:
全角600文字、改行50回まで
レス:500件 |
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クオンタムデーモン(ID:BNE004018)
鳩目・ラプラース・あばた
2013/04/27(土) 00:35:44 |
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プライドの破壊を防ぐため、心の平和を守るため、愛と真実の悪を貫く。
できーるだけぼかして書きますので、分かりにくいかもしれませんがご容赦ください。
あのね、警察のお世話になるような、余り素行のよろしくない方々と、品行方正を絵にかいたようなサラリーマンの方々と、両方ともわたしのお客様にはいらっしゃるのですけど。
引き受けて辛いのは断然後者からのご依頼なんです。
所謂「よろしくない方々」のご依頼って、悪に徹底しているので理屈が通っているのですね。
お金の為とかメンツの為とか、やらないと損をするからやる。やることに益があるからやる。
理解できるし、納得できるんです。
同情さえ出来ると言っていい。
ビジネスライクであることは何と合理的でやる気を促進させるものかと感動するほどです。
一方、そうでない方からのご依頼はそうとは限らない。
やらなくてもいい仕事が多いんですよ。
経済的に得するわけでもないし、やったからと言ってメンツが保たれるわけでもない。
でもやらないと気が済まないからやる。
金でもメンツでもない、もっとドロドロしたものを保つためにやる。
そういうお仕事は、泥臭いと言いますか依頼人の怨念をそのまま背負うような気持ちになってしまうんです。
彼らからは汚れ(よごれ)だけではなく、穢れ(けがれ)もアウトソースされるんですよね。
だから疲労も倍になります。
想像してみてください、そこらを歩いてるきちっとしたサラリーマン、或いはその奥さん、またはその父母、舅姑。
円満とまでは言わずとも、とても法に触れるようなことが出来そうにない、ほんの昨日まできっと規則正しく食卓を囲んでいたような普通の「いい人」たちが、
「それとっとと片付けてくれ」と苦虫をかみつぶすような顔で言う様を。
わたし自身は汚れ仕事をやる覚悟も出来ていますし、賤しいと言われても文句はありません。
でもそのわたしに仕事をくれるのは普通の人間なのです。
それがときどき、どうしようもなくやるせなくなります。
師匠は「だからこそ仕事になるんだろ、と友人に言われました♪」と仰います。
いいご友人をお持ちで。
わたしは、「人間」と「人間ではないもの」を、「社会の害になるか否か」で峻別しています。
人と人の間で問題無く生きていけるなら「人間」、人と人の間に置いておけないほど危険なら「人間でない」。
だからこそ、こちら側に脚を踏みいれられるような真似をされるのが気に食わないのかも。
あなたたちはわたし達と違って真っ当だとわたしは信じているのに、わたしたちみたいな人でなしなはずがないと信じていたいのに、と。
そう思えば、この切なさはどこまでもわたしの問題と言えるのでしょう。
他人がどの程度真っ当でどの程度人でなしなのかは、わたしのこの儚い信仰とは全く関係が無いのだから。
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街多米 生佐目(ID:BNE004013) 2013/04/27(土) 13:32:42
まぁ、信じるなんていうのは一方的なものですし、多少は、ね
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鳩目・ラプラース・あばた(ID:BNE004018) 2013/04/28(日) 22:05:04
多少はね。
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