http://bne.chocolop.net/img/top_bg/BNE_bg_20130213ex.JPG
<混沌組曲対策本部>
「傍迷惑な演奏家はさぞ満足だろうさ」
苦虫を噛み潰したような沙織の言葉には深い疲労の色が滲んでいた。日本全国をターゲットに断続的に続いた『混沌組曲事件』がこの程、激しい転調を迎え本格的な『演奏』に姿を変えたのは記憶に新しい。下地として十分に『黄泉返り』の恐怖をばら撒いていた『楽団』による凶行は少なからぬ人命を奪うと共に大いに社会を恐慌させたのである。
「……何とも腹立たしい話だぜ」
溜息を吐いた智親は日頃余りそういう顔をしない沙織の様子に諦念と怒りの入り混じった複雑さを隠さずに呟いた。
「それで、状況は」
「千葉におけるバレット・“パフォーマー”・バレンティーノとあの黄泉ヶ辻京介との接触は、富子や冴が身を張って食い止めた。横浜に出現したケイオスは止めるには到らなかったものの、現場の奮闘で大幅に遅延した襲撃は此方の避難誘導で大きく被害を軽減するに到ったと言える。だが、東日本の戦闘状況が悪くなかった一方で、西日本を中心に被害は小さくない」
「……褒めてやりてぇよ、正直直接」
「中国地方ではシアー・“シンガー”・シカリーが暗躍し、四国や沖縄といった『楽団員』は最初から遊撃の心算だったんだろう。都市の制圧には到らなかったが、持ち帰った死体は相当数に及ぶだろう。大都市の多い近畿圏は特に激戦になったが――」
沙織はそこで一瞬だけ逡巡してから言葉を繋げた。
「――大阪ビジネスパークツインタワーを舞台にしたモーゼス・“インディケーター”・マカライネンの音叉儀式は、大和、桐やアンジェリカ達の活躍で不完全に終わった。裏野部連中の動向も合わせてリスクを嫌ったモーゼスが退いた以上、最悪の事態は避けられたとも言える。
勿論、これは神秘秘匿や大混乱の収拾が上手くいくかってのを省いた話だが」
日本全国で生じた『楽団』と『日本の異能者達』との戦いは過去に経験し得ぬ程激しいものとなっていた。『野良』に当たるリベリスタやフィクサードの被害も大きい。七派やアークの犠牲者も然りである。とは言え、『楽団』からしてもこの戦いは敵を殺すという『戦術目標』の達成にはなっても、エリアを制圧し拠点を構えるという『戦略目標』の達成には届かない程度だったという事になろう。否、構成員の数を考えれば『楽団』は日本の組織に劣るのだから命のトレードめいた激戦は割りの合うものではなかったのかも知れない。尤も『死を汚す者達』が相手ではその死の意味さえ疑いたくはなるのだが。
「……だが、結局戻ってこなかった奴は少なくなかった。
無事にって意味だけじゃなくてな、物理的にもだ」
しかして、努めて冷静にそう言った沙織の表情が浮かぬのはケイオス等バロックナイツのようには『戦力を駒』と割り切れる筈も無いというどうしようもない事情があった。それは戦争の損得、理屈ではない。唯の感情である。『楽団』は死者を繰る。その単純な事実は決して想像したくは無い未来の訪れを約束しているかのようだ。
「……くそったれ」
毒吐いたその声は隣に居ても聞こえない程度の小さなもの。
幾度繰り返しても、何度味わってもこの『屈辱に似た無力感』に沙織が慣れる事は無い。大凡人生において挫折をした事が無いかのようなこの男は『自分が先陣に立てぬ事実より呪う事は他に無い』。
それでも司令官たる自分が感情に振り回されて冷静と余裕を失う事が組織にもたらすマイナスを彼は知っていた。少なくとも戦争をしているのだ。「この程度の状況、想定の内である」と言えないようでは話にならない。沙織は小さく頭を振り、やがてこの場に在る『想定外の三人目』の方に視線を移した。
|