結局は自分が大事で終わる話。
また同僚が死にまして。
哀悼の意を表します。
同僚とは言え、単に同じ仕事をしていたというだけで、面識なども全く無かった訳ですけど、キツいもんです。
ただ、それをダシにしてエントリ一つ書ける程度にはわたしはドライというか、クソ野郎です。
今回は、進んで命を捨てたというより力及ばず絶命なされた感じで、本当に悔やまれます。
良く生きることは良く死ぬことです。
どんなに贅沢に今を生きても、死ぬ瞬間が不幸せなら、その気持ちのまま意識は消滅します。人生の総合的な収支とか関係ありません。人生にスコア集計画面はなく、それをしてもらえるのは死んだ後。
理想的な死に様を考えます。
ありったけの幸福を脳にぶち込んでのブラックアウト。
きっとそんなこと有り得ないであろう、病死、負傷の死。
死ぬ時は呼吸ができなくなると聴いたことがあります。
辛いと言うことも叶わず、眠るように死んだように見える。
違う、違うんだ、苦しいんだ、息ができないんだ。
そう告げることも、指先も動かせないまま、臨終の後の死を迎える。
どれほど栄華を誇ろうと、どれほど快楽を貪ろうと、人生の最後苦しんで死ぬとすれば、生前の行いとはどんなに儚いことでしょう。
どれほど満足して死に臨んでも、最後に感じるのは痛み、無力さ、窒息。
「充実した人生」という言葉は、何とも虚しく響きます。
満足して死ぬことに思いをはせます。
死の瞬間、楽しい気持ちで居ることに。
幸せなまま意識が消えることに。
わたしにとってのそれは、皆様には秘密にしておきます。
良い夢を。
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