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<鉄の亡霊が嗤う>
「……フン。イタ公め、漸く動き出したのか」
『執務室』のデスクで革張りの椅子に尊大にかけたまま。直立不動で玲瓏と言葉を紡ぐ副官の美女――クリスティナ『中尉』から報告を受けたリヒャルト・ユルゲン・アウフシュナイターは小馬鹿にするように小さく鼻を鳴らして吐き捨てるようにそう言った。
「連中の動きの悪さには七十年経った今でも変わらず反吐が出る。劣等共にも及ばん愚鈍振りを見せ付けられれば、総統閣下もさぞやお嘆きだった事だろう。実にこれだけ長い時間を越えても僕を同様に苛立たせ続けるのだから、連中の業も中々深い」
ドイツ、バイエルン州を中心に勢力を張る闇の組織こそこのリヒャルトを首魁とする『親衛隊』である。地下ネットワークの中枢、ミュンヘンの本部には知られざる闇が渦巻いていた。
一方のクリスティナは濫りに感情を表に出す事はしない。細かな情報を更に幾つか述べた後、彼女はリヒャルトの機嫌を伺うでもなくやがて静かに問い掛けた。
「……如何なさいますか? 御采配を、少佐」
「連中が上手くやった試しを僕は寡聞にして知らない。
今度は精々利用してやろうとは思うがね!」
「成る程。では、我々は……」
「ああ。情報だけは漏れず手に入るように手配しておけ」
「先遣はアルトマイアー少尉とブレーメ曹長辺りが良いでしょうか」
鷹揚に頷いたリヒャルトにクリスティナは「畏まりました、少佐」と短い返答をした。
厳密には『軍籍』を持たぬ二人が、構成員がメンバーの呼称として『階級』を使用としている事は――『忌まわしき遺物』とも呼べる時代錯誤な軍服を身に纏っている事実は『親衛隊』ひいてはリヒャルトとクリスティナの本質を何より雄弁に説明していると言える。
蛇蝎の如く嫌われる鉤十字も彼等にとっては過日の栄光である。その姿を見れば一目瞭然に理解も届こう。かのハインリヒ・ヒムラーが組織した『アーネンエルベ』その過激派の生き残りこそが現在の『親衛隊』の中核である。WW2の亡霊達は絶望的な敗戦の憂き目にあって尚、時間がその痛みと傷を過去へと押し流そうとしていても、未だ当時と変わらぬ旺盛な戦意のままにその力を蓄え続けていた。
(フン。胸糞の悪いこの欧州の空気もその内一変させてやるさ)
雌伏の時は余りに痛ましく、又長すぎた。
さりとて、リヒャルトからすれば本意では無い――魔術結社(バロックナイツ)が如きお遊びへの参加も『愛すべき国家』へ奉仕する為のステップと思えば確かに意味はあるのである。世界のパワーバランスを破壊し、永劫なる千年帝国を築く事こそ、自身が偉大な先人に託された使命であると。彼は疑う余地も無く確信している。『それを託した人物が何処にも居なかったとしても、時の彼方に埋もれた悪夢を世界中の誰が否定していてもである』。
日本という遥か過去の『同盟国』に又利用価値が生まれたのは彼にとって最高の知らせだった。喉から手が出る程欲しかった『全てを打倒する為の礎』、『歴史を正す為の手段』がまるで自分を手招いているようだと歓喜していた。
「何れにせよ、まだ多少の準備は必要だ。
パスタ野郎のみならず倫敦の溝鼠(モリアーティ)やキースの奴も妙な色気を見せてやがる。万一にも出し抜かれるな。『親衛隊』の戦力編成と共に例の『計画』も抜かるなよ」
「は。ヘル太田への感触は今の所、上々といった所でしょうか。
『作戦部』は引き続きコンタクトを続け、ミッションを完遂します」
「三国同盟然りか。劣等共も時に多少の分別はするらしい。
引き続き渉外はお前に一任するぞ。クリスティナ中尉」
リヒャルトは一方的にそう言って自身の顔の左半分に手を当てた。遥かに思いを馳せるのは遠き日、ベルリンで受けた屈辱。ひんやりと指先に硬い感触を伝えるその鉄の手触りは美しい彼の面立ちの半分を醜く破壊した『革醒』の証明である。
じくじくと痛む。顔の半分が幻のように痛んでいる。
(……今に見ていろ)
復讐心は旺盛なる炎のようである。
歪んだ『大義』と許せぬ『理由』をぶら下げて鉄十字猟犬はその時を待っている。上官の様に何も言わず、クリスティナは長い黒髪を僅かに揺らして気のせいか――微笑んでいた。
→<混沌組曲・序>
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