足踏みに意味がある場合。
いくらわたしが朝の鍛錬を欠かさず行っているからと言って、わたしが前進主義というわけではないのです。
「スキルを上げる」だの「能力を高める」だのと言った如何にも前に進むことがいいことだみたいな文言にはわたしはもう食傷しておりまして。
無論、進歩は正しいし進歩以外の事など出来はしないし人間的成長は尊いものだとわかってはいますが、「ねばならない」で語られると反抗したくもなるということです。
家で寝ていることとかめんどくさいからやらないとか、そういうこともまた正直な欲望の発露なのであって、そういう欲望は「ダメ」なんだ、みたいな言い方は、限りなく自分に嘘を吐いている気になります。
諦めるなと人は言いますが、今自分が立っている場所を振り返ると、「今以外の選択肢を全部諦めた結果」のように思えるのです。
これがいい、これが最高と選び取ったものなんて数えるほどしか無くて、人生のほとんどは、「他を諦めて」マシな選択肢を取った場合で占められています。
他のことだってやりたかったさ、だが体は一つしかねーんだ、という。
逆に言うと、全能性には遍在性が不可欠だということでもあります。「あれもこれもできる」ってことは、「あそこにもここにもいる」ってことなのですから。
遍在できず偏在するしか無いわたしには、数限りない諦めで自分自身を作り上げるしかないのです。
何を諦めたか。
何をもう「前進させない」と決めるか。
わたしは寧ろ、そっちの方が大事だ。
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