転がり落ちるように
先天も後天も、誰が責めることができるというのでしょう。
この世の全ては初めから波動方程式に寄り決定していて、例えありえたかもしれない世界が無数にあったとしても、決して有り得ない世界はその数京倍を超えて。
「あの時こうしていれば」「この時ああしていれば」そんな選択肢は果たして本当にあったのか?
多世界解釈というのは、「人の自由意思」なんてものに配慮したものではないことは十分ご存知のはずですが。
わたしたちに許されているのは、史実の解釈のみ。
書かれている文章は一律でも、それをどう受け止めるかだけは自由なのだ。
どこから何故
Rolling Downをし始めたのかどうすれば転がり落ちずに済んだのかわからない。
出口ではなくて入口がわからない。
奈落の底で待つのが母さんでなくとも、「幸せだった」と
言ってのけることだけがただ一つの自由なの。
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