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<研究成果?>
「珍しいな、お前がここに呼び出すのは」
アーク本部下層――雑然とした『研究開発室』の扉を潜った沙織はモニターに滅多見ない真剣な眼差しを向ける部屋の主、真白智親にからかうような言葉を投げていた。
「呼び出す程の用が出来たって事さ」
食い入るように見つめていたモニターの中の数値、数式、反応パターンエトセトラ。常人が見ても全く分からない複雑なそれ等から文字通り視線を引き剥がすようにして沙織を見た智親は頭をボリボリと掻きながら少し熱っぽい口調でそう言った。
「何か画期的な成果でも上がったか?」
「そういう事だ」
「へぇ」
軽口半分に投げかけた言葉に事の外素直な肯定が戻って来たのを受けてレンズの向こうの沙織の目が細くなる。幾ら男やもめと言えど、幾ら適当でいい加減だったとしても、幾ら機密費でキャバクラ通いをしたとしても、幾ら徹夜続きでシャワーもまともに浴びていない事が明白だったとしても、幾らそうでなくても娘に加齢臭を指摘される今日この頃だとしてもである。真白智親の場合、そういった諸々の事実は他所に置いておいて正真正銘の天才である事に疑う余地は無いのだから期待は高まる所であった。
「この間、拓真がラ・ル・カーナから持ち帰ったアレ。アレだ。『忘却の石』。フュリエの族長の美人さん、シェルンか。アレが寄越した土産についてだがな。研究開発室で解析を進めた結果、面白い事実が浮かんできたぜ」
「と言うと?」
「『忘却の石』はある意味で『賢者の石』と同じだ。この世界、つまりボトム・チャンネルには有り得ない物質。『賢者の石』が総ゆる神秘を増幅し得る可能性を持つのと同じように、この『忘却の石』も神秘に対して一方向の働きかけを可能とする力を持っている」
「勿体をつけるな。一方向ってのは増幅とどう違う?」
「『賢者の石』の増幅は謂わば追加だ。扱いが非常に難しく、リベリスタ達に配布するリソースとしては装備の開発という形に薄めざるを得なかったがな。『忘却の石』が連中にもたらす影響は追加じゃない。削除だ」
「……は?」
智親の言葉に沙織は首を傾げた。彼とて『賢者の石』が神秘の力を(良くも悪くも)向上させる事は多くの実例の上で理解している。しかし正方向に作用する『追加』に比べれば智親の言う『削除』はどうにもイメージが悪い。
「ああ、成る程。ええと、より正確に言うならそれは『リセット』だよ。
結論から言えば『忘却の石』はリベリスタやフィクサードの持つ異能のキャパシティを漂白し、組み替える影響を及ぼす力を持っている。万人に必要な品じゃないが、使える人間も居る。ある意味では『面白い作用』とは言えるだろう?」
「野球選手がサッカー選手になれる?」
「神秘限定でな」
沙織の言葉に肩を竦めた智親はガラス張りの向こうで解析用のレーザーセンサーを浴びる『忘却の石』を眺めながら小さく笑った。異能ならぬ彼や沙織は実体験で神秘を扱うリベリスタ達の感覚を知る事が出来ないが、自身の能力傾向やその系譜を組み替える手段というのは確かに画期的である。
「しかし、問題はある。シェルンのくれた『忘却の石』は確かに巨大なものだろうが、この一個から抽出出来る結果は然程多くない。一定以内にコストを抑えて、アークのリベリスタに提供するには少し厳しいと言わざるを得ないな。研究開発でより有為な抽出、運用方法が見つかる可能性はあるが……それより早い手段が必要だ」
「成る程ね」
沙織は合点がいったという風に頷いた。
折りしもラ・ル・カーナでは同盟相手のフュリエから彼女等の集落への招待が届いているらしい。『忘却の石』は希少であるとは聞いているが、保守的な彼女達にとっては無用の品であろうから特別な捜索をしていない可能性は高い。リベリスタ自身がこれを取得すれば少なくとも研究成果を待つよりは有為に早く。実用への道筋を立てられる目論見は立つだろう。
「そんな訳でよ、俺の方からリベリスタ達には頼み事をしといた訳。
……まぁ、連中が上手くやってくれた所で当面の『数』には限りが出るとは思うがな。
実際問題、『他所の世界』ってのは凄い。上手く行けばこりゃ進歩だよ」
智親の声は『未知』に触れる喜びに満ちている。
「研究者肌ってのはこんなもんか」と沙織は呆れながら――何となく納得していた。
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