溜めこんだビール缶の山を見て、こんなに無精だったかと多少嫌になったりもします。
外出は嫌いじゃないのだけど、片づけるという行為が面倒でたまらないのだ。
特別に理由があるわけでもないのだけど、何だか面倒です。
明日まとめてやればいいじゃんと思ってしまう。
なまじまとめてやってしまえた記憶があるから、今はやらなくていいという選択をしてしまう。
わたしはそういう弱い脳味噌を持っています。
視界に映るモノだけが世界の全て、という感覚も一人で住んでいると強く感じます。
目の前に無いと忘れると良く知っているから、大事なものは目立つ場所に置くのだけど、それはすぐに風景と同化してしまって、全く目立たなくなってしまう。
ゴミが気になるか気にならないかと言うのはその「明き盲」の素質があるかどうかだと思うのん。
(目の前にあるものが見つけられないわたしに、親がよく言った言葉です。)
わたしは目が悪いのではなくて、「何を探しているか」の形状を覚えていられないのです。
「あれあれ、ああいう形をしたあれを探しているのん」と頭で思うのだけど、机の上を目で探しているうちに、その「参考画像」は消えてしまう。
「探す」という作業と「探す対象を覚えている」という作業が、わたしの脳メモリのキャパを越えてしまう。
というか、わたしはマルチタスクが苦手なのだ。
ものを探すのが得意な人は、「これこれこういう形状のものを探す」が1タスクで済むんだと思う。
わたしもウォーリーを探すときぐらいは1タスクで大丈夫。
でも「こういう機能を持ったもの」「こんな感じの絵柄」みたいな曖昧検索になると、「探す」と「探す対象の感じを頭に思い浮かべ続ける」は2タスクになる。
そうすると、「探す」の作業中に見たオブジェクトの形状が「探す対象の感じを頭に思い浮かべ続ける」のメモリを不意に上書きして、何を探していたのか忘れてしまう。
「探す」という行動は続行されるけど、「探す対象」の記憶は酷くおぼろげになって、見逃してしまう。
そして、実際に何度も見逃した経験、「明き盲」と言われつづけた記憶が手伝って、「あ、これは自分が見逃したパターンだ」と思ってしまう。
自分の目でfindした結果は全く信頼できない。
これは、わたしが自分を「自分如き」と思っていることと無関係じゃない。
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