「成る程ね」
無機質なリノリウムの床に長い足を遊ばせて、椅子に腰掛けた時村沙織は表情を緊張に染める長耳の少女の顔を見つめていた。
「アザーバイドってのは中々大した芸当をする。伊達に『上位』に居るって訳じゃないんだな」
少女の名はエウリス・ファーレ。彼女が無事にアーク本部へ移動する事が出来たのはアザーバイド識別名『エルフ』ことエウリスを『保護』したリベリスタ達の活躍による所である。「……その意味は良く分からないけど……」
「悪い意味じゃない。話が早くて助かるって事さ」
エウリスの周囲を浮遊する青い光を放つ妖精のようなもの――フィアキィというらしい――を眺めた沙織は小さく肩を竦めてそう言った。驚くべきか二人の扱う言語は間違いなく『日本語』であった。神秘の力を持たない一般人の沙織がバベルの語を操る事は不可能である。従って二者の言葉が通じる理由はエウリスの方に求めるのが正しい。つまる所、沙織の言った『話が早い』とは短い関わりと交わりの中で、言語による意思疎通を可能にしたエウリスを褒めた言葉なのであった。
「実際、言葉が通じるかどうかってのは重要だからな。どういう寸法でそうなった?」
「……理屈は良く分からないけど、この世界にはラ・ル・カーナとは違う何か別の力を感じた。私がどうというよりは、この世界にある力を形に出来たっていう状態だと思う」
「……と、いうと?」
「ここに来る前に女の子――ライオンに話しかけられたのと同じ。フュリエには特にこういう力は無いから、これはライオンと同じこの世界に根ざした力を獲得したものだと思う」
「成る程」
沙織は一つ頷いた。アザーバイドは独自の特殊な能力を備えているケースが多いが、このボトム・チャンネルの住人も『向こう』から見れば同じ事である。その力が個人に根ざす事もあれば、その世界において習得出来る力である事もあるのだろう。エウリスが新たに得た力は『タワー・オブ・バベル』と違う事は無いという事だ。彼女がこれを得た理由は本能的に必要であると察したからなのか、偶然なのかは知れないが。
「智親辺りに聞かせてやれば泣いて喜ぶかも知れねぇな。
その辺りの『研究』は全くブラックボックスの塊だからな……それはさて置いて。話を元に戻すなら、お前さんが何処から来て、どう迷い込んだかを俺達は概ね把握している」
「……帰れるの?」
軽口を叩く事を一旦辞め、沙織が切り出すとエウリスは上目遣いで彼の顔を覗き込んだ。
「ああ。一応理屈上はな。
……と言うよりこちらの戦力が『撃退』した『同郷の連中』は元の世界に戻ったって報告がある。不測の事態が起きない限り、来た道が『安定』している以上、お前が帰る事も可能だろう」
「……撃退……」
エウリスが驚いた顔で呟いた。
この時、沙織は意図的に『撃退』という言葉を使って説明した。真実・事実とは多少異なるが重要なのは相手がそれをどう受け止めるかの方である。
「尤もあの『オーガ』連中に向こうで出くわしても困るんだろうが――」
「バイデン」
「うん?」
「私を追ってきた連中はバイデンっていう。私達はフュリエ」
言葉を聞いた沙織は「成る程」と頷いた。促す彼に少女は口を開き、遭遇時よりは幾らか詳細な状況を話し出す。
「フュリエはラ・ル・カーナの森に住む種族よ。
『境界線』になる『世界樹』の東側がフュリエの領域になってる。バイデン達は『世界樹』以西の荒野に勢力を構える、とても野蛮な連中なの」
詳しい事は後で確認すれば良い。
ラ・ル・カーナは彼女等の世界を意味するものだろうと沙織はあたりをつけた。『世界樹』の正体は知れないがその辺りを堺に二つの勢力はにらみ合う形なのだろうと考える。やはり大方の予想通り『エルフ』と『オーガ』改め、フュリエとバイデンは敵対関係にあるらしい。
「バイデンが何時からラ・ル・カーナに現れたか私は知らない。私が『気付いた時』にはあいつ等はもう沢山いた。でも少なくともずっと昔はバイデンなんて居なかったのよ。あいつ等は何時の頃からか現れてラ・ル・カーナの半分以上を自分達にものにしてしまった。フュリエを見つけると追いかけて捕まえるから…… 私は必死に逃げたのよ」
「まぁ、お前が捕まらなかったのは……何より。少なくとも話を聞く限りじゃな」
沙織はそんな風に相槌を打つ。
目の前の少女が嘘を吐いているようには見えなかった。
恐らくは彼女の言い分は『間違ってはいない』のだろう。しかして『間違っていなくても事実すべてを過不足なく伝えているかどうか』は又別の問題である。
「俺達はどうすればいい?
お前を何とか無事に帰してやろうってのは一応考えてるがね」
『外交』は最も注意を払うべき重要な難問である。様子を探る心算で言った沙織にエウリスは少し押し黙る。長いようで極々短い沈黙の後、彼女は意を決したように彼に告げた。
「それも勿論だけど……」
「……だけど?」
沙織の柳眉がピクリと動く。レンズの奥の瞳はやや鋭い眼光を帯びて少女を射抜く。彼女の言葉は恐るべき勘の鋭さを誇る沙織が『薄々』感じていた波乱の色を帯びていた。突きつけられる難問の色を帯びていた。
「ごめんなさい。それもだけど――一つ、大切なお願いがあるの」
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