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<沙織&シトリィン>
モニターの中に大映しになっているのは寒色の涼やかな美しい女である。
「グーデンターク、沙織」
薄い唇は艶やかな微笑を浮かべ、細い瞳は少し相手を小馬鹿にしたかのような悪戯っぽい光を湛えている。
「景気の悪い表情ね」
「元からの顔立ちだよ」
「あら? そうかしら。
私の知ってる時村の貴公子はもう少し可愛い顔をしていたと思うけれど」
「言ってろ」
外見年齢を言うならば小さな嘆息を吐いた時村沙織の方がやや上か、といった所である。しかしてこのシトリィン・フォン・ローエンヴァイスという女は外見で判断出来る程、素直な存在では無かった。
沙織にとってシトリィンとの『会談』は気の重い仕事の一つであった。彼の気質からすれば相手が美人ならば喜んで仕事を承るのが本来なのだが。その経歴から色々な種類の女を扱ってきた自負のある彼からしても、彼女はどうにも食指の動かない相手――と言うよりは彼の目が故に本質が見えているからと言った方が正しいのかも知れないが――なのだから仕方ないと言えば仕方ない話ではある。
「しかし、早い応答だったな」
「オルクス・パラストはそれだけ優秀なのよ。この献身的な尽力に小切手(こころづくし)で答えてくれる事を期待しているわ」
シトリィンの『冗談』に沙織は小さく苦笑いを浮かべた。
「それで?」
「いいニュースと悪いニュースがあるけど、どっちから聞きたい?」
「いいニュースかな」
シトリィンらしい問いかけに沙織らしい答えが返る。それに何やら満足そうに頷いた彼女は一拍程の間を置いた後で言った。
「アークが欧州に身分照会をした二人の正体、分かったわよ」
謎の女――アシュレイの存在を掴んだ後の沙織の行動は早かった。時村家の政治力を駆使した彼は各所の出入国記録を洗い、アシュレイと彼女と行動を共にする男の情報を突き止めたのである。結論から言えばアシュレイは偽名も何も使わず成田空港から堂々と入国して来た……という事になる。当然、調査には名前や国籍といった リベリスタ達の持ち帰った情報 が使われたのは言うまでもない。
「本場欧州のあんた達の方が付き合いがあると思ったが、当たりだったか」
「直接会った事は無いわよ」
モニターの中のシトリィンが小さく肩を竦めた。
「男と女の二人組ね。厳密に言えば姿を知っていたのは男の方。女の方は名前だけ知っていたって感じだけど、色々状況と情報を積み重ねればほぼ間違いないと思うわ」
「それで?」
「いいニュースはさっき言った通り、正体が知れた事。
悪いニュースはその正体の方よ。二人組の男の方は『リビングミステリー』ジャック・ザ・リッパー。女の方は多分『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア。ジャックは日本でも有名人でしょうね。その、本物よ。
まぁ……重要なのは奴が唯の三下殺人鬼じゃないって方。アークのリベリスタでも詳しい人なら知っているかも知れないわね。ジャックは『バロックナイツ』のメンバーよ。歪夜十三使徒の一角、その第七位。たった十三人で『世界最強』なんだから嫌になるけどね」
「……そんな気はしてたんだ」
勘のいい沙織はシトリィンの言ういいニュース自体が即ち悪いニュースである事を察していた。しかし齎された情報は思った以上に芳しくない。『世界最強』なる字面は実に穏やかではないではないか。
「アシュレイは?」
「『塔の魔女』の名で通ってるフィクサードね。その正体は不明だけど、少なくとも欧州神秘界隈では1700年代にはその存在が確認されてる。自分で主体的に大きな事件を引き起こしたって記録は無いけれど……
マリー・アントワネットの侍女で、ロベスピエールの秘書。ラスプーチンの愛人、アーネンエルベに居たって話もある。尻軽っぷりは十分伝わるかしら?」
シトリィンの言葉には冗句めいた揶揄が混ざっていた。本当の所はどうか知らないが、根無し草っぷりは確かに際立っている。
「例の女が『アシュレイ』であるという確認は何とか済ませたわ。
状況から考えて、あの女、今はバロックナイツに寄生してるって見るのが妥当ね。
……アシュレイを分かっていて受け入れる辺り、連中らしいと言えばらしいけど」
「……?」
言葉に首を傾げた沙織にシトリィンは薄っすらと笑みを浮かべて応えた。
「気付かない?
あの女、関わった人間の運命を必ず転落させるのよ。だから『塔の魔女』って呼ばれてる」
まるで夏の気温が下がったようにも錯覚する毒気のある笑顔に沙織は少しその顔を引き攣らせた。今、そのアシュレイとジャックに関わろうとしているのはアークであり、日本である。
「連中の狙いは分からないけど、確実に碌でもないのは間違いないわね。何時、何をするかはまだ分からないけれど……世界レベルの波風が起きるのは間違いないわよ。使徒が二人も揃って、何事も起きずに済む訳がない」
シトリィンはバロックナイツと小競り合いを起こした事があるという。そんな彼女の表情は何時の間にか冗談の色を失くしていた。
「覚悟を決めて、警戒に努める事ね。
アシュレイは読めないけれど、ジャックは分かり易く『ああいう男』よ。
どれ位の効果があるかは分からないけど、ドイツから武運を、祈ってるわ」
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